読解力の欠損について
エド「ニーナとアレキサンダー、どこに行った?」
— さちゃ💣🍍負無オトナ (@searcher_ep) 2020年1月17日
タッカー「…君のような勘のいいガキは嫌いだよ」
勘の悪いガキ「いや勘とかじゃなくて、二人はどこに行ったんですか?」
タッカー「だから合成獣の研究が認められた年と失踪した年が一致してて…」
勘の悪いガキ「なんで合成獣の話になるんですか?」
このツイートを見て面白さに気づけない人はいるだろうか?
気づけない方は多分鋼の錬金術師という漫画作品を読んだことのない方だけだろうと思いたい。
ネタの解説をするというのは、いささか寒くなりがちなのだけれど今回はそこをなんとか我慢していただいてこの説明をさせてほしい。
一応言っておくと鋼の錬金術師という作品において序盤ネタバレにはなってしまうので、そういったことに対して不快感を抱く方はここでページバックをお勧めする。
タッカーという研究者が人語を話すキメラを作り出し、脚光浴びるのだが、その材料となったのが自身の娘であるニーナと飼い犬のアレキサンダーであり、主人公のエドがそれらが居なくなったという状況証拠に対してタッカーに問い詰めるというシーンがある。
それを理解できない理解の悪さといったところに面白さが存在しているのだけど、これを笑えない現実がある。
本気でこれをやる人間が少なくないということだ。
元から事実や情報を歪めて反応するというストローマン論法というものもあるが、ここではただただ読解力のなさ、というのに言及したい。
上で漫画の話をしたが、まさに漫画を読むことですら、読解力がなく苦労する層が一定数いる。
たかが娯楽であるが娯楽ですら修練が必要なのだ。
例えば人物のアップのシーンと全体の俯瞰図が一緒のコマ、あるいは打ち抜きで描かれていたとする。
前述の人々はなぜ同じ人物が2人存在しているのか?と疑問に思うらしい。
言われてみれば、、、とは僕はならなかった。
そこに共感してしまうとせっかくの表現の否定になるからである。
もっとわかりやすくしてよ。
そういうのは簡単だが理解できない人。言ってしまえば、水準に達していない人に合わせるとどうなるか。
漫画は文字数多くなり、小説は行間という概念が無くなる。そしてストーリーには伏線が不可欠であるがそれに気づけない人への配慮も必要となる。
この流れがもうすでに来ているのではないかと僕は思う。
国語の授業やテストで作者の気持ちを考えましょう。
これに対して文句をいう人がいたのを思い出してほしい。
実際には作者が問われた答えの思考はしておらず、出題者の意図を文章から汲み取り、指定された文言、セリフ、文章を抜き出しなさいという問題がおおよそだ。
それを作者はそんなこと考えねーよと揶揄するならともかくとして、まじめに取り組んで分からず仕舞い。そんな人間が増えてはなかろうか。
冗談に対して本気で激昂するような人間がそうではないか。
僕は少なくとも意図を読み取れるような人間になっていきたいと心から思い、行動していこう。